生きる意味、これを求める人が最近多いのではないでしょうか。
生きる意味を真剣に考える、それはどんな人間がそうなのか。それとも、誰でもそのようになる可能性があるのでしょうか。
先日、テレビで10人のお坊さんの説法という番組があり、見入ってしまいました。
この番組を観て、生きる意味を真剣に考えて悩む人は、
素晴らしい可能性を秘めているのではないかと思いました。そして、真剣に悩むほど、苦しい問いだとも感じました。
番組の中でコメンテータの方が、「生きる意味を求めている人は、精神論ではなく、具体的な、明確な答えを欲しがっている。この問題は難しい。」とおっしゃっておりました。
私も、そのコメンテーターと同じように思いました。
「無気力に生きています、生きる意味が分かりません」
という人に、どのような説法があるのかと、興味を持って観ていました。
お坊さんの方々の説法は素晴らしく、すべてご紹介したいのですが、その中のひとつ、浄土真宗の川村妙慶さんの説法をご紹介します。
自分の生きる意味、もやもやが出た時は実は成長するチャンスだと思ってください。人間は落ち込んでみないと生きる意味というのは見いだせません。
あの人の為に頑張ったのに、親の為、子供の為に尽くしたのに…。
人の為と書いて偽りと書きます。仏教では「もしも裏切られたときにあなたはどう生きるのですか」という問いをくださいます。
そこで、生きる意味とは「味わう心」だと思ってください。何事も味わう、ということ。
それを教えてくださったのは蓮如上人という僧侶です。蓮如上人は「御一代記聞書」の中にこういう言葉を残しています。
「かむとしるも のむとしらすな」
かむ、と、のむ ということを教えてくれます。
私たちは食事をするときにまず噛みます。やがて味わい、のみこむ。
辛いことがあった時は腹立つ!と一気に飲み込む。これを鵜呑み、といい、意味が分からず、いきなり飲み込むのはあまりにも勿体ないことです。
まずは、辛いことも、嫌なことも、味わってください。すると、ふりかえるとあれはこういうことだったのかな?これはこうかと、じっくりと人生を深めることができる。
食事も一緒です。甘いだけの食事は何か物足りないものです。
砂糖だけではなく、胡椒や塩、からしや酢がはいると深い味わいになるんです。
「味わう」
嬉しいこと、悲しいこと、あります。それが何かに変わるかもしれない。そんな気持ちで人生を味わってみてください。
どうでしょう。悲しいことも辛いことも味わう。
また、コメンテータの方がこんなことも言っておられました。
「行為優先」という言葉があります。意見を求めるよりも、先ずはやってみる。行う、ということです。
こんなことがありました。
知り合いの僧侶のところに「生きる意味が分からない、教えてほしい。それでも分からなかったら、ここを出たら死ぬ」という若者がきたと。
その僧侶は一生懸命生きる意味を言葉を尽くして説明します。ですがその若者には全く響きません。
もう帰るとその若者が部屋を出ると、隣の部屋で封筒にチラシを入れているおばちゃんたちが「このままじゃ終わらないわ、大変だわ」と愚痴をこぼしながら、時には笑いながら作業をしておりました。
帰ろうとする若者を見つけると、「もしお時間あるなら手伝ってちょうだい」と声をかけられ、手伝うことになり、その日は夜遅くまでかかったが終わることができた。
おばさんたちは口々に
「ありがとう!助かったわ!また明日もきてちょうだい。」
と言われて、若者は嬉しそうに「はい」と答えた。その後その若者は10年ボランティアを続けているという。
この番組を観て、目の前の事をしっかり見つめる、目の前の、今できる事をしっかり見つめる。生きる意味はその先に、または振り返った時にはっきり見えてくる、わたしも、そんな風に生きていければ…と思いました。
また、今はコロナで、どこに楽しみを見出していいのかわからない。きっかけや、出会う機会が失われている。このことも重要な問題ですね。
必要な人に届きますように…
