アウシュビッツで『人間の種族はふたつしかない』と体験した実話

すごかった‥。

冒頭タイトル、びっくりですよね。でも全然大袈裟とかではなくて。

あの恐るべき集団殺人の組織と施設を持つアウシュヴィッツに収容され、生き抜いた心理学者が残した言葉です。

ヴィクトール・E・フランクルの

『夜と霧』

人の命をモノのように扱い、悪夢でうなされている仲間を見ても、この現実よりはまし‥と起こすのを止めるほどの痛々しい環境を生き抜いた心理学者の目線を通して語られる「実話」

目を覆いたくなるような残酷な仕打ちをするのも、ガス室の中で毅然として祈りの言葉を口にするのも同じ人間。

うまく言葉にできないほど衝撃的で、もし、自分がここにいたら‥と考えるといたたまれない。

その本を読んで、語りきれないほど感情が揺れ動きました。

中でも最も強く印象に残った2点について感想を書こうと思います。

まずは冒頭の、

人間の種類はふたつしかない』とは、どういうことか?

究極の状態になった時、ふたつの種類のうち、私たちははたして望ましい方に入れるのか?

今現在、私は望ましい在り方を選択をしています。

それはこのブログを読んでくださる皆さんもそうだと思います。

(人から見て、、という他人軸ではなく、自分の中での『望ましい方を選択している』という意味です)

果たして命をモノのように扱う究極の場面では?

私は正直に言うと自信がありません‥自分の命を守るために、寒さから身を守るために飢えを凌ぐために‥。

‥こうしたことから、わたしたちは学ぶのだ。

この世にはふたつの人間の種類がいる、いや、ふたつの種類しかいない、

まともな人間とまともではない人間と、ということを。

このふたつの「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入り込み、紛れ込んでいる。

まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない。

したがって、どんな集団も「純血」ではない。

監視者のなかにも、まともな人間はいたのだから。

       夜と霧 本文より引用

では、「まともではない」人間とは?

誰か思い浮かびますか?

私は、関わらないようにしよう、
エネルギーが違う、、と避けてきた人達の顔が思い浮かびました。

現代にいる、その人たちの特徴は‥

  • ターゲットを決めて一方的に攻撃をしてくる人
  • 高圧的な態度を取る人
  • 人からの言葉に「責められた」と感じて怒る人
  • 権力のある人にはヘラヘラして、自分より下だと認識した人には横柄な人
  • 自分が正しいと信じて、その基準から外れた人を攻撃する人

こう言う人かなって思います。

収容所の中ではこんな感じです。(壮絶です)

  • 怒りっぽく、人をいたぶることをなんとも思っていない監督
  • 収容所の監視兵は強度のサディストが求められた。
  • 被収容者の中からカポー(※カポーについて参照)を任命する時も同様でさらに「劣悪」なものから選ばれる。
  • 極寒の作業現場で焚かれたストーブを雪の中へひっくり返す。喜びを取り上げるその表情からサディスティックな満足感がありありと読み取れた。
※カポーについて

カポーとは‥ユダヤ人の囚人の中で、暴力的で犯罪的性向のある囚人を選び、収容所警備の親衛隊の下部機関として一般のユダヤ人囚人の監督に任命された者。

彼らは 親衛隊に忠誠を尽くすことで衣食住の面で特権を与えられ、同胞のユダヤ人に暴行を加えたり、ユダヤ人の死骸の処理に従事していました。

収容者は親衛隊の横暴に加えて、番犬と化した同胞の直接的暴力に苦しんだのです。しかし、カポーの中には、生きるのに必死でやむを得ず‥という者もいたかもしれません。

生と死が隣り合わせの環境だからこそ顕著に浮かび上がる2種類の人間。

人を種類で分けることは賛否両論あると思います。

ただ、究極の場面ではこのように炙り出されるのではないでしょうか‥。

生きるために、望まないもう一方の人間になることがあるかもしれない。

そうなった時に、知っていることで『気づく』ことができる。

それって、ものすごい違いではないでしょうか?
『ああ、私は生きるために、こうなることを選択したんだ』

気づくことで、望む人間に戻れるかもしれない。

はたまた、仕方ないと、望まない方を『選ぶ』かもしれない。

知ることは、
人生の主導権を握ることにつながります。

その意味で、読んでよかったし、ぜひみなさんと共有したいと筆を取りました。

ただ一つ、誤解があるといけないので補足すると「正しい」方を選びたいわけではありません。

「私は正しい」と思った瞬間すでに他人との争いが始まっている。

そんな言葉があるし、そう思うからです。

この本で心が揺さぶられたことは他にもたくさんありますが、もう一つ、私が印象に残ったことを、次回のブログで書いていきますね。

もう一つはこの環境を生き抜く人と亡くなってしまう人の心理、生きる意味の捉え方。

収容所で、クリスマスから年末にかけて、『病気』や『飢え』ではなく、物理的にあり得ない大量の自然死があったようです。

その驚愕な内容についてお伝えしますね。

感想や、コメントなどをいただけるととても嬉しいです。

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ではでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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